モーくん

めざせ成仏

エンジニアと職人気質と裁量の話

ツイッターを眺めてたら、「職人気質のエンジニアに何かをお願いしてそれは無理と言われたら、周りのエンジニアに聞こえよがしに『本当に無理なんですか?』と聞いてみせて競争心を煽ればやらせることができる」というような主旨のツイートと、それに対する反発のコメントが流れてきた。

 

思うに、この不幸な状況には大きく二つ要因があって、一つはエンジニアが職人的な立場で技術的決定に大きな影響力を持っていることと、もう一つは、それでいてエンジニアがビジネスからあまり信頼されてない(やりたくないから三味線弾いてんじゃねーのとか思われてる)ことがあるのではないか。

 

この問題へのある解答はこの一つ目の要因にアプローチするもので、それはエンジニアの職人的立場を解体して、「技術的にできるかどうかを判断する人」(テクニカルリード)、「やるかどうかを決める人」(マネージャ)、「やる人」(エンジニア)に分けるというものだ。

判断に対する責任はテクニカルリードとマネージャが負うので、エンジニアが過剰に防衛的になっているのではないかと心配する必要はなくなるし、そもそもビジネスの人間がエンジニアの心配をするのはこの体制の下では越権行為となる。

この体制は実際に機能する。

 

とはいえ、この体制ではエンジニアの裁量が低すぎて、エンジニアの創造性を最大限に活用し、大きなエンジニアリングパワーを引き出すというようなことは難しい。

いわゆる先進的なIT企業ではエンジニアに大きな裁量を与えていると言われるが、その違いはどこにあるのだろう。

というところで、この記事を思い出した。

 

グーグル社員が「労働時間」を問われない理由 —— 「時間で管理は愚かな考え方」だ | BUSINESS INSIDER JAPAN

 

グーグルはエンジニアに大きな裁量を与えていて労働時間は問われないという記事だけど、面白いのは「労働時間は問わない」の意味で、実働が一日四時間でもよいとされる一方、何かの都合で残業した場合には残業時間分の代休が与えられ、長時間労働にならないような仕組みになっているという。

日本の労働法改正議論で「成果で判断し、労働時間は問わない」というフレーズが出たとき、実際は長時間労働の解禁を意味していたのとは好対照だ。

 

グーグルの例のように、エンジニアの能力を無制限に引き出そうとするなら労働時間についてはむしろちゃんと制限したほうがよくて、従業員の献身性につけ込んで長時間労働を強いるような制度は従業員を防衛的にしてしまうかもしれない。

 

そういえば、残業と従業員の創造性の関係については、この本が面白い実例だった。

 

町工場の全社員が残業ゼロで年収600万円以上もらえる理由

町工場の全社員が残業ゼロで年収600万円以上もらえる理由

 

 

残業を全面的に禁止したら従業員の主体性が上がり、効率的に業務をこなすためのアイデアがよく上がってくるようになった、というようなことが書いてあった。残業なしでリフレッシュできることや、残業できないという制約自身も創造性を刺激する要因だと思うが、何かアイデアを出したときに「じゃあ君やってみて、定時後にね」などと言われる心配がない、というのも大事なポイントではないかと思った。

 

結論としては、「エンジニアに裁量を与えて無制限に能力を引き出すこと」と「裁量労働の名の下にエンジニアを無制限に働かせること」とをちゃんと区別できる会社ならいいけど、そこまでできないなら、先に書いたようなテックリードやマネージャによる分権型の制度でもいいから、まずはエンジニアの無制限の献身がなくても仕事が回るようにすることが、ビジネスの人と防衛的なエンジニアとが疑心暗鬼の駆け引きをするような不幸な状況を防ぐために必要なのではないか。